就職活動は「就社」じゃないんだ。
なんて記事が定期的にバズったりするけれど、結局事実は「就社」であるといつも思う。
なぜなら日本のシステム上、「就活」の時期に「職能が身についている」ことがないからだ。
美容師とかそういう専門職を別にして、いわゆる4年制大学を卒業した時点で「職能が身についている」ケースはまれだろう。
すると「特定の職能を持たない人」は当然「総合職」として採用されることになる。
総合職とは、総合的な能力を要する基幹的業務に従事する企業の正社員のことである。(Wikipediaより引用)
だそうだ。
つまり、「属する企業で場面場面で求められることを良い感じにこなす人」なのだと僕は解釈している。
専門職のように何か定型の仕事があるわけでもなく、いわゆる欧米型の職務給制度のように職務内容に具体的にフォーカスするものでもない。
そして、就職活動という文脈中での「職」の捉え方が、
「職務」というミクロな視点と、
「手に職をつける(=仕事一般)」というマクロな視点
が混在しているからややこしい。
もちろん、「就社」と割り切ったからといって、「企業の看板に乗っかって仕事をするんだ」という訳ではない。
あくまでその中でどういう人と、どういうやり方で、どういう条件で働くか、という話だと思う。そういう意味では「就社」という大きなことではなく、せめて「就チーム(あるチームに就く)」とかそれくらいのスコープの話だとも思う。
一方で、総合職で採用される事情に照らせば、当たり前だが「君は営業から人事に異動だ」と言われれば、よほどのことがない限り従うしかないだろう。そう考えると「就いた」はずのチームから、自分の要因以外(つまり会社事情)で離れる必要が出てくるかもしれない。
そう考えるとやはり自分は「会社」に「就いている」ともいうことが出来る。
結局、キャリアを選ぶ最初のステップとしての「就活」の時点で有している「職能」がないに等しい以上、基本的には「就社」しかないのだろうと思う。
その中で、会社の看板やネームバリューだけではなく、向かいたい方向性や実現したい世界観のような「これからの話」にどれだけ共感し、
また自分と同じように共感して入ってきているであろう仲間たち(すでに入社している社員)とその価値観を共有できるか、が大事なのだと思う。
繰り返しになるが、スタートラインに立った時に「なんの職能もない」。
これが面白い。
まさに真っ白なキャンバスに自由に絵を描くかのような感じ。
だからこそ、どういう絵を描くのか、筆は、絵の具は、色のバリエーションは、構図は、そういうものを一緒に考えていける仲間を探せるといいのだと思う。