色黒大阪人事が気ままにつぶやくブログ

色黒で大阪人で人事な僕がなんかつぶやきます。

個性論

 

先日、学生時代お世話になった先生とお話しさせていただいた際に、
「個性がないって悩んでいる学生が多いんだけど、採用担当から見てどう思う?」
という話で盛り上がったので、僕の思う「個性」の話をしようと思います。

就活生によく見る「個性」とは

僕は採用担当でしたので、そこにフォーカスして話を始めることにします。
「個性」について話してもらうと多くの人が
「自分が何を成し遂げたか」で話をしてくれます。

「部活で○○をした」
「バイトで▲▲という実績をあげた」

とかとか。

もれなくツッコむ。

「それは個性なのか?」

と。

まあ僕自身はあまり上のような質問をすることはないのですが、もしするとすればそこでの判断基準は

「話す内容そのもの」

ではなく

「その内容をなぜ選んだのか」
「そしてどういう道筋でその内容を話すのか」

に置きます。

話す内容は嘘をつけるが、内容を選ぶ思考には嘘をつけない

判断基準を「話す内容そのもの」に置かない理由として、話す内容の真偽や「すごさ」を判断することが出来ないから、です。
就活の場で話を盛る、という経験は僕も含めてほとんどの人がやったことがあるでしょう。
正直、「嘘」じゃなくて「盛る」くらいだったら許容だと思っていますが、情報の正確性が担保されない以上はそこで判断するのは避けたいな、というのが本音です。
その一方で、どういう「嘘をつくか」もふくめ、どういう「内容を話すのか」という思考に嘘をつくことは出来ません。
もし、嘘をつくことが出来るとすれば、思考の根幹を分離する能力があるという点で優秀だと考えます。
とすると、どういう思考過程で「話す内容を選ぶのか」というところにフォーカスをします。

「個性」とは無意識下のもの

要は意識できない部分にこそ「個性」が出るということです。
そういう意味では留学に行こうが、起業をしようが、それは「個性」ではないと。

「個性」から派生している枝の1つではあるものの、「個性」はもっと無意識の部分にあるんじゃないかなと。

もちろん、留学や起業を経てパラダイムシフトというか、価値観そのものがひっくり返されて、無意識という自分の根幹部分から変わることは大いにあるでしょう。

そういうこともあって、留学や起業という「具体」ではなくて、それを抽象化・一般化した要素が大事になってくるんですね。
それは以前

www.blackenny.com

の記事でも触れている通りです。
具体的な経験から無意識下に落とし込めるようなものを得て初めて、それは「個性」になるのではないでしょうか。

「個性」とは他人が決めるもの

そして「個性」が無意識下のものであるが故に、「個性」を認知するときは必ず周囲から指摘を受けたときになります。
自分では無意識だけれども、周囲から見ると

「この人のここってほかの人とは違う」
「この部分こそ特徴的」

と言われるもの、それが「個性」として認知できるようになるわけです。
就活などで自己分析ならぬ「他己分析」が有効とされるのはここが理由ですね。
「他己分析」してもらうことで自分の「個性」に気づくことが出来るのです。

「個性」はアタリマエな状況にこそある

特に就活生は、「個性」について大げさに考えてしまうところがあるのかもしれません。他人と明確に違うことをしていないといけないなどと、無意識下であるはずの「個性」をむしろ無理やりにでも作ろうとしてしまうような向きがありますね。

僕もそういうことをしようとしている時期がありました。
そんな就活の中で上に挙げた「他己分析」をしていたとき、両親や家族親しい友人に話を聞くと、彼らが挙げる僕の「個性」は僕にとって「アタリマエ」となっていたものばかりでした。

・小学校のころから野球の練習だけは毎日欠かさなかったこと
・誰が相手でも物怖じせずに自分の意見を言うこと
・病的なほどに返信や連絡が早いこと

僕からすればそれらは

・好きなことだしアタリマエ
・自分の意見は言わないと伝わらないからアタリマエ
・連絡来た時に返すのはアタリマエ

という3つのアタリマエにしか過ぎなかったんですが、周りから見ればそれは「個性」だと。
「個性」なんてそんなもんです、きっと。

最後に

「個性」に限らずですが、あまり具体的なことにこだわりすぎないこと、そして周りから見た自分がどう映っているのかを知ること、この辺りはとても重要ですね。
表層にあるものだけではなく、そのバックグラウンドはもちろん、周囲にあるものとの繋がりなんかを意識しながら、物事を捉えられるようになっていきたいものです。