色黒大阪人が気ままにつぶやくブログ

色黒で大阪人で人事(過去形)な僕がなんかつぶやきます。

ハラスメントは当事者だけで完結しない

セクハラやパワハラなどハラスメントについて問題になることがしばしばありますが、個人的に違和感を覚えるところがあります。
それは加害者と被害者1対1という関係性でしか話が展開されないということです。
これは
「周りも傍観してるってことは加害者だ」という話もあるでしょうが、ここで言及したいのは
「周りの人たちも被害者になる」という方向の話です。

本人が納得していても許されない

加害者と被害者1対1で話が進んでいくことに違和感を覚える理由が
「あいつも納得してた」みたいな話をすることが多いからです。
パワハラでよくある例だと
「成長するから」「お前のためだから」ってやつですね。

僕自身それに巻き込まれたこともあるし、ともすれば言ってしまう側にもなり得るので気を付けないといけないのですが、
「成長するから」ってなんでもいいのか、というとNOですよね。

そしてここで言いたいことは、
「成長する」と、言われた側が納得していても、その状況を作っている時点で「ハラスメント」ですよ、ということ。
当事者同士の関係性が出来ていたとしても、周りが不快になる、結果として「納得していない」周りの人たちへのハラスメントになっているよということです。

言い換えれば、ハラスメントを目の前で見るという「ハラスメント」を受けているともいえるでしょう。

同僚がハラスメントを受けている、という状態を見ているだけでこちらも不快になりますし、パフォーマンスやモチベーションも落ちますよね。

そういう意味で、当事者同士の中で「仮に」「万が一」納得感があったとしても、周囲の人たちを不快にさせるという意味で一種の「ハラスメント」になるのかなと思います。

「自分が我慢すればOK」ではない

言うまでもないことですが、ハラスメントをしている側が悪いのは間違いないことですし、許されません。
ただ、先述のように「周りを巻き込んでしまう」ことを考えると、ハラスメントを受ける側が「自分が我慢すればいいんだ」と思っているのだとすれば、そこに異を唱えたいですね。そうじゃないよと。

周りで見ている人もその痛みや苦しみを多少なりとも共有しているし、そうやって苦しんだり、我慢しているのを見ている時点で、周りの僕たちはつらいですから。

自分をしっかり守ること、それが周りを守ることにもつながりますしね。

心優しい人ほど苦しんでいる

最後にこの記事を書いたきっかけに少し触れておきます。
僕の周りの友人の中で、いろんな事情で休職になっている方が何人かいます。
最近このブログをはじめ、キャリアの話を発信することが多いからか、そういう方々から連絡をいただき、オンラインや直接など話す機会がありました。

もちろん各々の事情は少しずつ違ったりもしますが、共通点として挙げられるのが、「心優しい人ほど苦しんでいる」ということ。

 

大変なことは自分がやらないといけない。

人に迷惑や心配を掛けられない。

 

そういう具合に。

でも、それで我慢していると、自分がつらいのはもちろん、周りもつらいんですよね。

それを伝えたかったです。

自分のためだけじゃなく、周りも含めて守るために。そのために「自分を守ってほしい」と思います。

この「守る」というのは、「NO」と伝えることもそうだし、それが難しければ休んだり、辞めたりして「守る」というのもあるかと思います。

形はどうであれ、自分を保てるような環境に身をおくこと、それが「守る」なのかなと。

 

かなり感情的なブログになってしまい、まとまりを欠いている自覚もありますが、だからこそ本音なのかもしれない、と自分を納得させてこういう形にしました。

それではまた。