久々にブログを書く。
今の職場は割とこの辺に寛容なので、そろそろ書きたいことをいろいろ書いてもいいかなと思い、久々に筆を執る。まあキーボードなのだが。
以前人事をしていたからか、今も経営企画という名前で現場とも上とも関わりながら仕事をするからか、「コミュニケーション」の取り方について聞かれることが多い。
→ちなみに2021年現在はさらに違う部署の立ち上げをしている。。。組織のKPIから考えるのは自由だけれど、大変である。
その中で基礎となるのは「事実と解釈を分ける」というもので、それについて少し話したい。
事実と解釈の違い
そもそも「事実と解釈を分ける」必要性があるということは、この「事実」と「解釈」が別物である、ということを表している。
「事実」とは、すでに目の前に発生した「事象」のことであり、「誰が見ても不変」なものだと僕は定義している。
一方、「解釈」はその「事象」に対して、その人が感じた「印象」であり「感情」であり、場合によっては「予測」なんかも含まれてくるだろう。
つまり、解釈とは「見る人によって変わる」もののことを指す。
相手の立場になってみる
ところで、「事実と解釈を分けて伝えてほしい」とあなたに言ってきた人の立場はどんなだっただろうか。
少し頭の中にその人のことを浮かべてほしい。
家族だっただろうか?
友人だっただろうか?
会社の先輩、あるいは後輩だっただろうか?
これは私見だが、その人は「自分より立場が上の人」ではなかっただろうか。
あるいはキャリア(仕事や人生やその分野において)が自分よりも上の人でなかっただろうか。
当たり前だが、あなたから「事実」を聞いたその人は、自分でその「事実」から「自分の解釈」を生み出すことができる。
そして、その「自分の解釈」をもとに何らかの判断をするのだ。
相手の思考をたどってみる
つまり、その人からすると
事実>>>>(あなたの)解釈
であり、
自分の解釈>>>(あなたの)解釈
なのだ。
理不尽だと感じるかもしれないが、相手がなんらかの形で上の立場ならば当然だろう。
会社であれば上位の役職者であるがゆえに得られる情報もあるだろうし、その人自身の経験則でしか導けない「解釈」もあるだろう。
だからある意味その人に任せてしまえばいい。
そういう意味でまずはとにかく「事実」を伝えるのが先決だ。
もちろん、逆に「現場でしかわからないこともある」という意見もあるだろう。
当然だ。
であれば、それを「事実」とは別に「解釈」もっとわかりやすく言えば「あなたの意見」として伝えればよいのだ。
『ここからは私見なのですが。。。』
などと前置きをすれば、多くの相手は多少なりとも耳を傾けてくれるだろう。
余談(のわりに長いな)
余談1~伝える側のメリット~
ちなみに、僕自身、「伝える側」になったときに「事実」と「解釈」を分けておくことで得られるメリットがあると感じている。
自分の「解釈」を極限まで切り離して、「事実」のみを伝えたときにはじめて、その相手(上司や先輩など)がどういう思考でどういう解釈をするか、を見るチャンスが訪れるからだ。
もし自分が、自分の見た「事実」を余すところなくその人に伝えることができれば、自分と同じ立場でその人が考えることになるだろう。
そうなったとき、その人の解釈までのプロセスを自分の体験と準えながら追体験できる。
「この事実からこういう風な物の見方も出来るのか」
「なぜそういう意思決定に至ったか、今度メシでも食べながら聞いてみよう」
そういう具合だ。
これは自分が「事実」を伝えられなければ決して起こりえないことであり、「事実を伝えた」からこそ思考が発展したのだ。
つまり、相手から何かを「盗む」意味でも事実と解釈を分けたほうがいい。
余談2~本当にデキる人がやっていること~
ここまで「分けろ」「分けろ」と言っておきながら、超優秀な人は「事実と解釈を絶妙に混ぜることができる」人だったりする。
「相手が事実だと感じる程度」に自分の解釈や主張を混ぜ、取り方によっては「事実を若干ゆがめながら」伝えられる人。
それでいて相手には「事実としての満足感」や「そこから自分の解釈を生み出す感覚」を提供できている人だったりする。もしかしたらその「事実と解釈を絶妙に混ぜる」ことで、ある意味相手の「解釈」までも誘導できる人、というのが世の中にはたま~にいます。
見てて観測できると「すげ~な」と思いつつ、そこはまだ「盗めていない」のでまだ言語化はできないのですが。。。
まとめ
「事実」と「解釈」を分けてほしいと、あなたに言う人は率直に言ってしまえば、「あなたの解釈」に何も価値を感じていないのだ。
それよりも「自分の解釈」に価値を感じている。
理不尽だが当たり前だ。相手のほうが経験値が高いのだから。
であれば、その相手の経験値を盗むためにも、「事実」と「解釈」を分けることだ。
ここでいう「事実」は「誰が見ても不変なもの」。
そのうえで相手の「解釈」を促し、スムーズなコミュニケーションに活かしてほしい。