色黒大阪人が気ままにつぶやくブログ

色黒で大阪人で人事(過去形)な僕がなんかつぶやきます。

「定量」が「定性」を含んでいることに気付くこと~金足農業吉田投手の投球過多からみる~

少し古い話題になりますが、今年の甲子園は秋田の金足農業の躍進で盛り上がりましたね。僕も縁あって甲子園に行くことが出来たので、高校球児のプレーに胸を打たれました。

さて、今年も話題になりました、高校球児の投げすぎ問題。

色んな人と意見を交わす中で、個人的に思う課題をつらつら書いていければと思います。

問題をダイジェストで

夏の甲子園で一躍スターの仲間入りを果たしたのが、準優勝した金足農業のエース吉田輝星投手。彼の今大会の投球数は881球。準決勝決勝は連戦だったり、その前も中一日だったりで、「将来ある若者に投げさせ過ぎなんじゃないか」の声が挙がったりしています、というのが超ダイジェスト。

過去にもあった同様の問題

アメリカで「クレイジー」と評された済美高校の安楽投手(現東北楽天ゴールデンイーグルス)や、少し前なら沖縄水産大野倫選手のように、過去にもこの「登板過多」問題はよく議題に挙がってきました。それでも、今日までなぜ議論が絶えないのでしょうか。

※安楽投手はセンバツで3連投含む772球を投げた。大野選手は過度な投球で肘が変形し、投手を断念したと言われる。

野球人の目線から

一応僕も割と本格的に野球をやった身からすると、

別に881球ってそんな多くないよね

というのが正直なところです。

この吉田投手がそうだったかは分かりませんが、投手の練習には「投げ込み」というのがあります。例えば100球/日で隔日で投げながら、自分のフォームを作って、変化球や速球のコントロールとつけて、という練習です。この練習自体にも賛否はありますが、管理できているのであれば有効な練習であるというのが僕の見解です。

そういう練習を日々している高校球児からすると、881球が絶対的に「投げすぎ」と感じるかと言われるとそうではないんですよね。

「甲子園優勝投手は大成しない」への疑問

ちなみにニュースでよく、「甲子園優勝投手は大成しない」というのが報道されていましたが、ここも大いに疑問符です。有名なところで言えば、現日本ハムファイターズ斎藤佑樹投手(ハンカチ王子で有名でしたね)とか沖縄興南高校出身で春夏連覇を成し遂げた島袋洋奨投手、日大三高で圧倒的投球を続けた吉永健太朗選手などでしょうか。

敢えて大学に進学したメンバーを集めましたが、彼らは大学進学後も一定の実績を残しています。が、進級するにあたって、成績が残せなくなり、その後プロ入り(あるいは社会人チーム入り)し思ったような結果が残せていない、というものになります。

少なくとも大学1年2年時点では大活躍していたわけで、それを「甲子園優勝投手だから」「甲子園で投げすぎたから」というのはズレている気がしますね。

定量」の捉え方はあくまで「定性」である

で、何を言いたいかっていうと、定量情報」って絶対的じゃないよね、ってこと。

それを受け取る人の価値観や感覚といった「定性」に支配される部分が大いにあるということ。

数字ってインパクトがあるし、数字そのもの自体は動きようがないので、そこを軸に物事を考えるのは、スポーツに限らず仕事でも何でも起こりうることだと思います。

が、その一方でそこに「定性」が含まれることを忘れがちなんじゃないかなと。

つまり上記の例でいけば、吉田投手の881球、を「登板過多だ」と捉えるか「いやいやそんなことよくあるやん」と捉えるかは、個々人の「定性面」に依存しているということです。

定量」と「定性」を相互補完的に捉える

したがって、「定量」と「定性」は字面上は対義していると感じますが、実際は必ずしもそうとはいえず、むしろ互いを補う関係であると言えるのです。

定量」を「定性」が補完し、「定性」を「定量」が補完しているそういう感覚。

定量」的に考えると、このうまくいく確率80%と出ているし、これまでの経験(定性)からいってもこの状況であれば十中八九うまくいくと思います。

とか

僕の周りにはこれを好きな20代が多い(定性)と感じるし、実際のデータを見ても75%の20代がこれを支持しています。

とかそんな塩梅。

数字を捉える「定性」面をどのように認識し、分析するのか、あるいはその感覚をどのように磨いていくのか、を意識して、様々な「定量」情報を処理できるようになる、ことが今後必要なのではないでしょうか。

余談~野球人として思う課題~

結論から言えば吉田投手のケースは問題ないと思います。投球フォームが下半身主導のフォームでしたし、決勝戦でフォームが崩れたときも下半身のフォームが崩れていきましたから、肩肘になにか異変が起こる、というものではないように感じます。もちろん、負担はあったでしょうが。

もう少し大きな目線でいくと、高校野球だけの問題ではなく、少年野球から大学野球といった学生野球全般の問題として捉える必要があると思います。

私も少年野球時代は過度な投げ込みで肩肘を故障した経験がありますし、そういう選手を何人も見てきました。先に挙げた斎藤選手、島袋選手、吉永選手の場合だと大学野球での連投(大学野球は3連戦の2戦先取制が多く、連投になりがち)が問題だったと感じます。

この投げ込みや投球数をそれこそ「定性」の自覚なく、決めてしまっていて、少年野球であれば「100球の投げ込みはオレたちの時代は普通だったから」とかで決めている例も多いでしょうし、大学野球の例であれば「こいつらは甲子園の連投を乗り越えてきているから」などの定性で決めていたりするのかもしれません。

結局はその状況状況に臨機応変に対応する必要があります。つまり、過去への「定性」ではなく、今目の前にある「定性」をしっかり捉えることです。

その前提としてルールで対応するのであれば、投球数の制限や連投の制限になってくるのでしょうが、個々人の筋力やフォームによって限界値も異なりますし、一括して決めるのは難しいんだろうな。