10ヶ月ほど前でしょうか、下記の記事を執筆しました。
www.blackenny.com
ぜひご一読いただければと思いますが、ハラスメントって当事者同士がOKと言っていても、「周りから見たらOUT」なハラスメントもあるよね、という話です。(超ダイジェストですが)
そういう話をしていたら実際に該当する事例のようなものが今回起きました。体操女子の宮川紗江選手へのパワハラあるいは暴力行為でコーチに処分を科したというもの。
また、その処分に対して宮川選手が「パワハラは受けていない」と反論したというもの。
テレビ、新聞、ネットニュースなど色々見ていますが、受け止め方は様々で、意見が分かれることもしばしばです。場合によっては、コーチを更迭したいから裏で権力が働いた、というものまで出てきていますね。
今回の処分の問題点は、
当該選手への十分なヒアリングがなされずに処分が決定し、かつそれが選手の意志に反するものだった
というところです。
問題になっているコーチは暴力行為(あるいはそうと見受けられる行為)については概ね認めている、というのが報道で共通しているところです。
よほどのことが無い限りは指導において暴力行為は避けられるべきです。(どこからを暴力行為として定義するかは難しいところですが)また、とっさに手が出てしまうことはあってもそれが常態化しているのであれば、そこをかばうことは出来ません。
その一方で、その行為1つをとって全てが許されないかと言われればそうではないと考えます。
今回で言えば宮川選手は少なくとも、コーチの「指導」については、自分を成長させるものと感じていたと思われ、その「指導」においては信頼関係があったというのが直筆手紙を見て感じるところです。
したがって、完全に資格を剥奪し、一切の指導を行えなくなる、という今回の処分は宮川選手の意志とは反しているものになります。
今回で言えば、「そもそもパワハラではない」という主張もありますが、他選手からの指摘があり、かつ暴力行為をコーチも認めている以上、そこを貫き通すのは難しいのかなと思います。
パワハラは存在した、が「指導」には十分な価値を感じていたとするのならば、このパワハラあるいは暴力行為に関する厳重注意ではいけなかったのか、と思ったりするわけですね。
さて、少し話の角度を変えますが、今回周囲の選手が声を挙げたという事例は非常に大きなものだと感じます。
今年に入ってスポーツ界の不祥事があり、パワハラだと声を挙げやすい環境が整っていたことを差し引いても、今回の周囲の選手の勇気は素晴らしいと思います。
本人たち(今回で言えば宮川選手とコーチ)の認識がどうであれ、見ていて「これはまずい」と感じることがあれば声を挙げるのは本当に重要で、仮にそれが本人たちにとって「指導」の範囲であるのなら、「私達はそれを指導だと感じませんよ」という1つの主張となります。
これは学校生活で言えばイジメとかと同じで、疑わしきは声を上げる重要性を示した先例だと思います。
そして併せて考えないといけないのは、「声を聞いた側」の対応の難しさです。
今回のように「当事者の状況をヒアリング出来ていない」あるいは「当事者の意向に反する」ような処分も違和感がありますし、とはいえ、「本人が納得しているからいいんだよ」では根本的な解決は望めない上、声を挙げることへのハードルを上げることにも繋がります。
学校で言えば教師、スポーツで言えばコーチ、会社で言えば上司や人事などになるでしょうか。こういう声を聞いて、適切に対応をする。明確な問題行動であれば簡単かもしれませんが、今回のように双方の見解が異なったり、というとそう容易には行きません。
以前別の記事でも書きましたが、まずはありのままに見ることが第一で、その上で「自分と違う見解があること」を互いに受容することが重要だと思っています。
これについては次の記事で深く触れたいと思います。
これまではハラスメントと当事者が声をあげること、ある意味一人称(あるいは二人称)で進んでいたものに第三者が関与するようになったという点で、今回のニュースは大きな意味を持つんじゃないのかなと感じて少し意見を書いてみた次第です。
それではまた。