色黒大阪人が気ままにつぶやくブログ

色黒で大阪人で人事(過去形)な僕がなんかつぶやきます。

優秀な人は「必要不可欠」にならない努力をしている

はい。こんにちは。

少し前に友人と「優秀な人材とはなんぞや」っていう話をする機会があり、まぁまぁ盛り上がったので、せっかくならと記事にしてみます。学生の頃からぶれなかった部分です。どうぞ。

学生の頃追い求めていた「優秀」

 もともと僕自身、優秀になりたかったし、頼りにされたかった。学生時代は野球をやっていましたけど、ほぼずっと主将を任されていてチームの中心である自負もあったので、「おお、俺って優秀やん」って思っている時期もあったんですよね。

でもある時振り返ると誰もついてきていなかったことがあったんですよね。あるいは、ついてきているだけ、依存されているだけ、「なんだかんだコイツがなんとかしてくれるやろ」みたいな。

そこではじめて「俺全然優秀ちゃうやん」って思いました。かなりショックでしたけど。

一個人としては「優秀」だとしても、チームの一員やリーダーとしては「優秀じゃない」という烙印を押された感じがありましたね。

優秀とは「必要不可欠」にならないこと

「必要不可欠」という言葉を見て(聞いて)ポジティブなイメージを持つ方もいれば、ネガティブなイメージを持つ方もいると思います。

組織で働くようになって思うのはこの「必要不可欠」ってあんまり良くない言葉ですよね、ということです。

というのも、究極言えば「必要不可欠な人材を減らすこと」が組織の命題であり、「必要不可欠な人材にならないこと」が個人の命題だといってもいいでしょう。

 

「必要不可欠」つまり「そいつがいないと困る」ってこと。これは仕事でも、学生なら部活でも、「その個人に依存している」ってことですよね。

 たとえば、自分が体調を崩したら仕事とかチームが回らない、そういう不安定な状態を作ってしまうわけですよね。果たしてそれは本当に「優秀」といえるのか?

もちろん、個人の能力としては非常に高いと思うので、そういう人は「個人として優秀」なのかもしれません。

でも、学生時代の部活やサークルにしろ、仕事にしろ、ほとんどの場合は「個人」ではなく「組織」の一員としての優秀さが求められるんですよね。

そう考えると「必要不可欠」な人材は、「組織の一員としては優秀ではない」といえるのではないでしょうか。

優秀とは「第2の自分」を作れる人

そう考えると組織にとって優秀な人材というのは、「自分がいなくても、組織が回る」ように後任を育てることの出来る人だといえるのではないでしょうか。

しっかり教育できる人、ともいえるかもしれませんね。

そのためには自分のやってきたこと、つまり経験や具体的な行為を、誰にでも当てはまるように「一般化する能力」が必要になりますね。

ここはもっと言えば、「自分にしか出来ない」という驕りを排することですし、「自分と同等以上の人の育成や出現」を恐れないこと、だと思います。

「必要不可欠」はあくまで通過点

とはいえ承認欲求は誰にでもあるもので、そういう意味では「必要不可欠」になりたい気持ちも理解できます。

ただ、それを目的にしてはならないということです。

それはより大きな成長や成果を出すためのあくまで1ステップ。

付加価値を出していくためにはその「必要不可欠」から「脱する」必要があるのです。

理想像

仕事のサイクルの基本は

  1. 前任者から仕事のやり方を学ぶ(吸収)
  2. 一人で仕事が回せるようになる(定着)
  3. 自分なりのやり方をプラスしてより良い物に作り変える(一時的な属人化)
  4. 後任者に引き継げるように一般化する(脱属人化)
  5. 後任者を育て引き継ぐ(後任の育成)
  6. 別の仕事を学ぶor自分で創造する(自ら離れる)

こういう流れだと思います。

スタート→必要不可欠な存在→必要不可欠ではない存在→新たなスタート

というイメージでしょうか。

このサイクルを早く回しながら多くの仕事に携わり、自分のスキルやキャリアを磨いていけるのが理想像なのかな、と思います。

まとめ

自分に依存されている状態っていうのは期待も感じますし、頼られるので気持ちいいところもありますが、それは少し間違えば「相互依存」になってしまう危険性を孕んでいるともいえるでしょう。

必要不可欠でなくなることは本当に怖いことです。

自分がだれかに簡単に取って代わられるわけですから。

でも、その危機感を背中に感じながら真摯に課題に向き合ってこそ真の成長があるんじゃないかな、と思います。

僕ももっと危機感をもって邁進していきたいですね。

それではまた。