僕たちはなにかの仕事の対価として報酬をもらっているはずで、そういう意味では「プロ」野球選手がバッティングやピッチングのパフォーマンスで報酬をもらうのと同じく、社会人はそれぞれ何かの「プロ」だと思うからだ。
ウィキペディア先生曰く
プロフェッショナル 、略して「プロ」は、本来の意味は「職業上の」で、その分野で生計を立てていることを言い、「公言する、標榜する」が語源である。
なので、僕も「プロ」らしい。
いつも見られていると思えるかどうか
そんな僕はtoBのコンサルタントをしている。自分の担当のクライアントがいてそこの支援をしていくのが仕事だ。
前職は人事なので、むしろ社外に出ていくことはあまりなく、社内で生きてきた人間だった。そんな僕にとって「社外の人にどう見られるか」を考えるのは割りと重要な課題だった。※もちろん人事時代に社外の人(主に学生)と接することはあったが、また種類が違うように感じる。
そしてこの分野における「プロ」とはなにか、色々模索して辿り着いたのが、「お客様のいないところでもちゃんとビジネスパートナー足り得るのか」というものだ。
当たり前だが、自分の担当しているクライアントの情報は守るし、極端な話その人の悪口を言うなんてもっての外のことである。
それは多くの人が「そりゃそうだ」というだろう。
要は「相手に知られたら不都合なことはするな」ってことだと思う。
情報漏らせばもちろん信頼なんて一瞬で消し飛ぶし、悪口も同様だろう。
そして、そうするならば、電話やメールをどういう態度で打つのか、まで考えなければならない。
街で社会人を見ていると「タバコを吸いながらお客様と電話している人」もいれば、「あぐらをかきながらメールを打っているような人」も多い。
同じコミュニケーションなのに、その人が見ていないとなった途端雑になる。
つまりは、相手の目の前でだけいい格好をしているってことじゃないかと。
そういえば、僕がこの仕事を始めたとき、同じチームにいた先輩はお客様との電話を切るときに必ずお辞儀をしていた。
「失礼いたします」といいながら頭を下げていた。
もちろんそれはお客様に見えることはない。
でもそれを見て僕は「この人はめっちゃプロやな」「こういう人に担当してもらえたら信頼できるな」と思ったのだ。
「お客様」は確かにそこにはいないのだが、電話越しとはいえそこに「いる」のだと感じた。
なぜ僕は完璧にこだわるのか
そういうところに影響を受けて僕は僕なりに真摯に仕事に取り組むわけだが、もともと細かい正確なのもあって良く「完璧主義だよね」と言われる。
確かにそう言われて仕方のないくらいこだわっていることが多い。
僕からしたら当たり前だ。なぜなら僕らは「プロ」だからだ。
とりわけまだ若手な僕にとってはお客様が年上なことも、役職が非常に高いことも多い。そういう方を相手にするわけだから、僕が完璧に仕事をする他ない。
だって、僕の「完璧」までやったところで、相手からすれば「まだまだ」なのだから。
それをスタートラインにするしかないのだ。
僕の「完璧」が相手の「最低限」かもしれない。なら、「完璧」にこだわるしかないじゃないか、と思う。
限りなくアマチュアに近い若手な自分だからこそ、「プロ意識」を持って「完璧」にこだわって仕事をしていきたい。