少年野球の監督をするようになって、子どもたちに何度も伝えているのがタイトルの通り「ちゃんと相手を批判しなさい」ということです。
彼らは味方がエラーをしたときに「どんまい」とよく言います。
まぁ僕の子ども時代を振り返っても、「どんまい」ってよく言ってたなと。
もちろんエラーやミスのなかには「積極的にチャレンジした結果」のものもあるので、それはまさに「気にしなくて良い」ミスなわけですが、一方で慢心や傲りから来るミスもあるわけで、それは子どもであろうと「気にする」べきミスです。
だからこそ「ちゃんと相手を批判しなさい」と思うわけです。
これはスポーツだけじゃなくて、勉強も仕事も人間関係もすべてそうだと思います。
仕方のないミスと、批判されるべきミス。
これらを混同してはいけないと。
でも、多くは批判すらされずに「どんまい」と言われてしまう。
そんなヌルい環境からはチームワークなんて生まれるはずないと思います。
みんなが気分よく和気藹々となにかを成し遂げるのがチームの目的ならばそれでも良いでしょう。
でもそうではなく、「試合に勝つこと」だったり「売上をあげること」だったり、色んな「チームの目的」がある中で、そのためにならないことが起これば、そしてそれが明らかに慢心や傲りから来ているのであれば、その行為は徹底して批判されるべきです。
批判されるべきを批判しない行為は、果たしてチームのためになるのかということ。
そして、もうひとつ。
批判って悪いことではないと、子どもたちには教えています。
批判の前には、「その人や出来事をありのままに見る」ことが必要です。
その上でマイナスな評価であれば「批判」になるし、プラスな評価であれば「称賛」になるでしょう。
だから、「ちゃんと相手を批判できない」ということは、「ちゃんと相手を称賛できない」ことになるんだと。
相手の行動から目をそらさずありのままを見て、評価し、批判または称賛しなさいと。
もちろん、どちらもしなければ自分はなんの責任も持たなくて良くなります。
批判したらそれに言い返されることもあれば、説明を求められることもあれば、相手を傷つけることもあるでしょう。そんな責任を負わなくて済みます、黙っていれば。
でも、その覚悟が出来ないような仲間とそれこそ腹を割って、何かに向かって一心不乱に取り組めるのか。
僕はノーです。
僕は仲間を傷つけるし、その分称えたい。もちろん仲間には、僕のやり方がおかしければ是非批判してほしいし、うまくいけば褒めてほしい。
それくらい、腹を割って付き合ってこそ、なにかを成し遂げたときに喜び合えるんじゃないか。
こんなことを小学生に教えてます。
とはいえ、彼らがもちろんすぐに理解することはなく、それこそ色々悩みながら仲間とのつきあい方を見つけてくれればなと。
チームワークはなにか整ったアスファルトの上にあるものではなく、裸足では歩けないようなゴツゴツした岩や石の上に出来るものじゃないかなと。その岩や石の「ゴツゴツさ」みたいなものが、互いの個性であって、そこをぶつけ合いながら、より良いチームを作っていきたいなと思った、そんな春でした。