色黒大阪人が気ままにつぶやくブログ

色黒で大阪人で人事(過去形)な僕がなんかつぶやきます。

僕たちは「気がついた」くらいじゃなにも変わらない

本当に人は甘いと最近良く思う。

僕も含めて、何度も同じミスを繰り返す。

そのたびにどれだけ自分が軽薄な行動をしていたかに「気がついて」そして今度はそれをやらないように「気をつけよう」と思うのだけれど、結局繰り返す。

そんな感じなのでやっぱり僕たちは「気がついた」とか「気をつけよう」くらいじゃ何も変わらないんじゃないかと思うようになった。

じゃあどうすれば変わるのか。

もう呆然とするくらいの絶望感に苛まれるしか無い。

それくらいの衝撃がないと基礎的な考え方は変わらない。

格好良く言うなら、パラダイムシフトってやつだろうが、そんな都合よく起こらない。

なぜそうそう起こらないのか。

何かを根底から覆されるということは、今までの自分の行動を否定するからだ。

ひいては自分の存在や過去を否定する行為だからだ。

その価値観に基づいてやっていた行動が全て過ちだったと目の前にさらされるからだ。

そんなショックが頻繁に起こっていたら身体がいくつあっても、心がどれだけあっても足りないからだ。

だから、何かに「気がついた」というレベルくらいで自分を留めておくのだ。

「ハッとした」くらいの、「まあたまにあるよね」くらいで留めておくのだ。

あるいは「あんな風に言わなくてもいいのにね」とか「こういうこともあるよね」とむしろ自己肯定や相手の否定にシフトするのだ。

だから結局は何も変わらない。

何も変わらないから、誰も変えてくれなくなる。

 

そういえば、前職の先輩が面接の後によく言っていた。

「あの人はあと3回くらい死にかければいい感じになるのにね」

たいていそういうときは、その人の思考や行動に甘さがあったり、深さがなかったりした。

要はそれくらい修羅場をくぐらないと、人は変わらないし深みが出ないんだろう。

 

偉そうに書いてる僕もそうだ。

1社目でドでかいミスをやらかして、結構ヤバイ額の損害を会社に与えたことがあった。

その日は職場がある東京から実家のある大阪に帰ろうと思っていた日で、夕方にそれをやった。

前から何度も注意されてたところでミスをした。

注意されて「気がついた」ところでなにも変わっていなかったからだ。

その日は、新幹線をキャンセルすることも忘れて、夜中の3時位まで上司や他部門の仲間と復旧にあたった。

帰りのラーメン屋で上司に言われた。

「よく逃げ出さずに最後まで復旧作業をやったな」と。

そこで初めて気づく。

「絶対どこかでこいつはやらかす」と思われた上で「放っておかれたんだな」と。

 

そこから僕の仕事に対する姿勢は変わった、と思う。

これまでは甘く見ていたような、単純な作業ほどちゃんとやるようになった。

 

あの日はもう二度と忘れないだろうし、二度と甘い仕事はしないだろう。

もちろん、仕事の難易度は上がるだろうから、ミスはするだろうけれど、侮った仕事はしないだろう。

 

簡単に自分が変われるなんてことはない。

所詮昨日や一昨日の延長線上でしか僕たちはものを考えられないし、それを崩すことはしないからだ。

一番怖いのはいつでも変われる、と思ってしまうことだ。

そんなことは永遠に来ないのに。

変わるには、あるいは変えるには、どこかで根底から否定されるしか無い。

そして根底から否定されるには、いつも挑戦をしていないといけない。

いつもと同じ場所にいても、そう大きく否定されることはないだろう。

環境が変わったとき、自分より背伸びしたなにかをやっているとき、そういうときにパラダイムシフトは起こる。

 

自分を変えたいならせめてずっと挑み続けるしか無いのだ。