色黒大阪人事が気ままにつぶやくブログ

色黒で大阪人で人事な僕がなんかつぶやきます。

「楽しむ」という言葉への違和感

僕の嫌いな言葉に「楽しむ」というのがあります。
嫌いだと気付いたのは子供のころ、野球チームのコーチの1人に「楽しめ」を連呼する方がいて、
「こっちは真剣にやってるのに楽しめって言われる意味が分からんわ」とイライラしていたのでした。
このころから僕はヒネくれていたのですね…(苦笑)

違和感を言語化してくれたインタビュー

先に述べたような感情を子供のころから「もや~っと」持っていたのですが、なかなかうまく言語化できずに悶々としていました。
そんな中先日、読売ジャイアンツケーシー・マギーという外国人選手のインタビューを何かの記事で読んで共感したのでした。(内容うろ覚えですが)

「野球は大好きですけど、プロである以上生活していくための手段であって娯楽ではありません。なのでプレーしている最中に『楽しむ』という感覚はないですね。もちろん、試合が終わって、シーズンが終わって、チームメイトと喜びたたえ合う瞬間がある、そこでようやく『楽しい』と感じるのです。」

ざっくり上記のようなことです。

その記事の中にはこうも書かれています。(ここもうろ覚え)

「医者やパイロットに『楽しんできな』とは言わないでしょう。」

確かに。
そんなこと言ってる奴がいたら「おいw」と思わずツッコんでしまいますね。

『楽しむ』の乱用は責任感の欠如なのではないか

極論入っています、あらかじめご了承ください。
マギー選手のインタビューを見て、
医者やパイロットに『楽しむ』と言っているとなぜ途端に「おいw」とツッコみたくなるんだろう、と我ながら疑問に思ったわけです。
そこで出た一つの結論が「責任の重さ」
彼らは多くのケースで人の命を背負っています。つまり『楽しむ』の対象となっている仕事の責任が重いわけです。だからこそ『楽しむ』と言われると違和感がある。
なるほど。
逆に言えば、『楽しむ』と気軽に言ってしまえるのは、その対象となっている仕事の責任を重く感じていないのではないか、とも考えられます。
もちろん、多くの方にとっての仕事とは、医者やパイロットと異なり命を扱う仕事ではないケースが多いです。
それでも広く見れば自分や家族、あるいはクライアントの生活、会社の仲間たちの待遇など多くのものが僕たちの仕事の結果に対してかかってきます。
医者やパイロットと異なるのは、責任の大きさではなく責任の可視性なのかもしれません。
そういう意味では、安易に『楽しむ』と乱用する人はその仕事に対してプロ意識が欠けているというか、責任感が欠如しているのかもしれません。

冒頭で言った通り、極論めいていますが。

仕事はつまらないのか?

『楽しむ』と使えないのであれば、仕事はつまらないのか、という疑問があるかもしれません。
僕の答えは『NO』です。
僕にとって仕事は『楽しい』ことの方が多いです。もちろん、大変なこともたくさんありますけどね。
ただこの『楽しい』は結果というか、『楽しむ』余裕もなく必死でやったことに対してついてくるもの、という感覚ですね。
マギー選手の例で言うなら、
試合中は『楽しむ』余裕なく必死!
試合が終わったら(特に勝ったら)、『楽しかったな』と感じる。
そういうものだと思っています。

『楽しい』と感じる基準はひとつ先に置く

個人的に意識をしている点があるとすれば、『楽しい』と感じるのを少し先に置くということ。
野球なら
試合中に良いバッティングができた→『楽しい』
ではなく
試合中に良いバッティングができた→そのおかげでチームも勝った→『楽しい』
といったような感じ。
ひとつの大きな区切りがあるまでは『楽しい』という満足感を得ることなく前を見据えるイメージでしょうか。
先の項で「『楽しい』は結果」という話を挙げましたが、何をもって『結果』とするかは状況次第ですし、その状況も可変なものだと思うので、そういう意味ではすぐに『楽しい』と感じるのではなく少し先まで進んでから感じられるといいのかな、と思います。

まとめ~個人の感覚に寄った記事でした~

例に漏れず、かなり僕自身の感覚に寄った記事でした。
もちろんこの感覚が絶対的に正しいとは思っていませんが、今のところはこの考え方がしっくり来ています。
それもきっと色んな経験を経るごとに変化していくんでしょうね。
そのときに「ああ、あのときはこう考えていたんだな」と振り返る意味でも言語化しておこうと思ったのでした。

それではまた。