色黒大阪人が気ままにつぶやくブログ

色黒で大阪人で人事(過去形)な僕がなんかつぶやきます。

無意識な「成長」こそ大事

どうも、僕です。

前回の「ベンチャーだから成長できるわけじゃない」を書いたとき、Facebookにて友人から「そもそも成長ってなんなんすか!?」と言われました。

確かに。あんまり考えたことなかった←

ということで、今回は成長とはなんぞや、ってところを考えます。

意識的な成長と無意識的な成長がある

成長は2種類に大別できると思っています。

「意識的な成長」と「無意識的な成長」の2つ。

「意識的な成長」とは、「意識して出来ることが増えること」。

例えば、「今週はテレアポをいつも以上に頑張るぞ!」と意識をして「普段の倍の受注を得る」とかですね。明らかに普段より成長してます。素晴らしい。

これが「意識的な成長」ですね。

「無意識的な成長」とは、「意識せず出来ることが増えること」。

例えば、「あら?いつの間にかメール返すの速くなってた」みたいな。気づかないうちに出来るようになっている、とかもこれですね。

2つの成長の違い

さて、「意識的な成長」と「無意識的な成長」の違いはなんなのか。いくつかあります。

1つ目、成長の自覚があるかないか

「意識的な成長」はとても実感がありますよね。「おおお、俺出来るようになってる!」みたいな。努力もその分しているでしょうし、達成感も結構あります。

「無意識的な成長」はあまり実感がありません。大抵はかなりあとになって気付くものですし、あるいは同期や先輩から「出来るようになったな」と声をかけられて気付くことが多いですね。

2つ目、使うエネルギーが多いか少ないか

「意識的な成長」は、「やろう!」と思って「意識的に努力」をしていることが多いので、エネルギーを使いますね。ここでいうエネルギーは体力もそうだし、精神力や時間などをトータルして考えたものですね。

「無意識的な成長」は「気付けば出来るようになっている」わけなので、エネルギーを使った実感はあまりありません。もちろん、まったくエネルギーを使っていないわけではないですが、少しずつの積み重ねでうまれてきたものなので、そこまで大きく疲労感を感じることはありません。

3つ目、短期的か長期的か

ここまでくれば、うっすら気付いていた人も多いと思いますが、「意識的な成長」はある程度短い期間で感じられる成長であり、反対に「無意識的な成長」は比較的長い期間で感じられる成長です。

もっと言えば「意識的な成長」は集中的で断続的ですが、「無意識的な成長」は並列的で継続的です。

「意識的な成長」はエネルギーを多く使うので、短期集中一発勝負。

「無意識的な成長」はエネルギーをあまり使わないので並行して複数の成長を遂げることができる、ってイメージですね。

意識的な成長の先に無意識的な成長がある

では、どちらの成長を追い求めるのか。

先までの書き方だと、「無意識的な成長」っぽいですよね。間違いなく(笑)

結論から言えば、どちらも大事です。

というよりは、「意識的な成長」を「無意識的な成長」にいかに転換するか、が大事です。

つまり、「意識的に出来ること」を「無意識的な出来ること」に変えていくことが大事なわけです。

先の例で言うなら、「無意識」で今の倍の受注を得るようになる、ことが大事なわけですね。

「意識的な成長」ってエネルギーを掛けている分、そして成果が短期的に出て分かりやすい分、どうしても目がいきがちで、かつ単発的になってしまいます。満足に浸りやすいですしね。

ただ、思うに、「意識して出来る」って「アタリマエ」なんですよね、きっと。

そりゃ意識していれば出来るようになるし、それだけに集中していいなら成果を出すのはそこまで難しくないんですよね。

仕事を進めていくと、マルチタスクをこなさないといけなくなる。たとえば、私の場合だと採用も事業もバランスとりながら回さないといけない。そのときに「意識すれば出来るんですよ」なんて言えないですし、言ったところで言い訳になってしまうんですよね。

だからこそ、「無意識的な成長」をいかにするかが大事なわけです。

 無意識的な成長をするためには

ではどうやって「無意識的な成長」をするのか。

「意識的な成長」をし続けること。これしかありません。矛盾するようですが。

先に挙げたように、「無意識的な成長」は「意識的な成長」の先にあるので、「意識的な成長」を続けない限りは達することが出来ませんね。要はチャレンジし続ける、ということ。ここでいうチャレンジはキャパに対して110%くらいのものが、無理しすぎず成長できるくらいだと思います。

そしてそのときに(先述のように)「意識して出来る」って「アタリマエ」だと思うようにすること。

そうして、「意識的な成長」をし続けたとき、無意識的に出来ることは自ずと広がっていて、やがて自分から言わなくとも人から「成長したな」と言われるときが必ず来ます。

そう言われるまで続けなければいけません。きついですけどね。

まとめ

途中でやめてしまって、「私はこれだけ出来る」といったところで、それが単発であれば「出来る」ではなく「出来た」の過去形にしか過ぎません。

そしてそれを過去形のままにして、「意識的な成長」を止めてしまったとき、それは「成長」ではなく「自己満足」になってしまうんだと思います。

そうなると悲劇ですよね。

間違いなく自分は努力もしたし、結果も一時的には出した。にもかかわらず、「成長」ではなく「自己満足」で終わってしまう。

成長は、自分で決めるのではなく、他人が決めるもの。

そう割り切って「意識的な成長」を続けたとき、「無意識的な成長」にやがて繋がって、いつの間にか「デキる人間」になれるのではないでしょうか。

 

さて、少し長くなりましたが、今日はここまで。

それではまた。